ひまつぶし

場面緘黙症のこと、好きなこと、いろいろ

場面緘黙症を知ったきっかけ

最近では世界仰天ニュースやバリバラなどメディアで取り上げられることが増え、場面緘黙症という言葉を知っている人も多くなったのではないだろうか。

 私が「場面緘黙症」を知ったのは、ネットで検索したことがきっかけだった。

当時高校生だった私は発表の時以外はほとんど喋らず、クラスメイトとの意思疎通は首振りで行っていた。その様子をみた担任の先生は、私に冷たい態度で接するようになった。例えば、朝の出席確認で名前を呼ばれ返事をしたのに、「聞こえない」「居ないのか?」と、目が合っているにも関わらず嫌味な口調で言われたり、唐突に「虐められてるのか?」と聞いてきたり。先生は喋らない私を軽蔑するような目で見ていて、それに耐えなければならない毎日が苦痛で仕方なかった(「先生」という立場の人だったから尚更悲しかった)。

話せるようになるには私のことを知っている人がいると駄目な気がしていたから、同じ中学出身の人が少ないであろう高校を選んだ。入学して間もない頃は自分から話しかけたり、出来るだけ言葉にして返事をしたりと頑張ったつもりだったが、だんだん過去の自分と同じくらい喋れなくなって、結局何も変えることができなかった。

もう一生このままなのでは?って不安になるわ、頼りたい人からは冷たくされるわで、だんだんネットの中に救いを求めるようになった。当時「ググる」という言葉が流行っていて、なんとなく「喋りたくても喋れない」とググってみたら、「場面緘黙症」っていう文字がヒット。この症状に名前があったことに驚いたし、同じように悩んでいたのが私だけじゃなかったことにすごく安心した。今まで「何で喋らないの?」と聞かれるたびに、自分でも分からないから答えようがなかったけれど、やっと答えが見つかったように思えて嬉しかったのを覚えている。

あの頃に比べると、ネットはもちろん、テレビや新聞や本などいろいろな媒体で緘黙症を目にするようになった気がする。場面緘黙症は早めに対処すればするほど後の人生で躓きにくくなると個人的には思うので、当事者や保護者のかたが情報を得やすい世の中になったのはすごいことだと思う。

そういえばバリバラの緘黙特集第2弾が予定されているみたいで、どういった内容になるのか非常に楽しみだな〜。

 

 

消えたくなった

いつぶりだろう顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにして泣いたの。明け方に不安感と焦燥感と吐き気に襲われて布団に包まって震えていた。消えたい助けて辛い大丈夫ツライたすけてタスケテ大丈夫って、思考がしっちゃかめっちゃかでショート寸前だった。あれほど死にたいと思ってしまったのは初めてだった。

 私が小学生の頃、一番年の離れている兄が亡くなった。母親の泣き崩れる姿や憔悴しきった顔を今でも覚えていて、自分は親より先に死んだら駄目なんだって子どもながらに思った。学年が上がるにつれて緘黙は酷くなる一方で、生きづらさは増していくばかりだった。兄のこともあり、私が自ら命を絶つなんてことは絶対にないっていう謎の自信はあったけど、横断歩道で信号待ちをしている時に今あの車の前に飛び出したらどうなるんだろうって考える事が何度もあった。屋上でひとり寂しく泣いた事もあった。

でも今日はいつもと違っていた。体の調子は最悪だし、不安も恐怖も痛みも劣等感も何も感じたくなくて一気に不安定になった。一方でもし最悪の行動をしてしまった場合どうなるのか?っていう理性もちゃんと存在していて、だから何度も大丈夫って言い聞かせる事ができたのだと思う。本当は生きたいのだろうけど、ただただ暴走する思考感情から逃れたかった。なぜ優しくて努力家だった兄が死んで親不孝な私が生かされてるのかってもう何百回も考えてきた。分かるわけないけど。感情に乱されることなく生きたいのに感情に振り回されてばかり。本音を溢せる場所があって良かったと心の底から思う。

 

 

無職。二十代後半。

毎日夜明け前に寝て昼過ぎに起きてごはんを食べてテレビを観て時々本を読んだりネットサーフィンをしたりごはんを食べたり散歩をしたりごはんを食べたり死にたくなったかと思えば謎のやる気が出てきたり等を繰り返して、2年が過ぎた。

 

ニートは毎日が休みでストレスもなく過ごせて贅沢だよね、なんて思ったら大間違い。もちろん美味しいものを食べれば美味しいなと思うし、テレビを観て笑ったり泣いたりするし、可愛い生き物には癒されるし、綺麗なものには感動だってするけれど、常に意識の隅っこには漠然とした不安と絶望とストレスが居座っていて、とくに夜になるとこいつらがとんでもない顔をして襲ってくるのです。

 

 高校生の頃の私は、将来大学に入って、普通に就職して、普通に結婚して、普通に幸せになれると思ってた。でも、学校で喋ることが出来なかった(場面緘黙症の)私にとって、描いていた「普通」を得ることはとんでもなく難しいことなのだと大学に入学してから思うようになった。周りと上手くコミニュケーションが取れず、4年間をほとんどひとりで過ごした。周りがエントリーシートを書いてスーツを着て、落ちた受かったで一喜一憂していても、正社員になって働いてる自分を想像することができなかった私は、行動すら起こさなかった。

 

怖かった。人と接する自信がなかった。ろくに喋れないし友達もいないし私はなんてダメな人間なのだろうと責め続けていた。

 

でもこんな生活をいつまでも続けられるわけがないことは分かっている。同級生は順調にキャリアを積み、結婚したり、出産したり、そんな知らせを聞くたびに焦燥感に駆られている。親にはたくさん迷惑かけてるし、なんていったって自立して、安心させたい。自分で稼いだお金でご飯を食べたい。洋服を買いたい。生きたい。

 

勇気が出ず、ずっと同じ場所で足踏みしている状態だけれども、ブログに日々の記録を残して行くことで何かを変えていけたらと思う。